【沼垂コース】もう一つのにいがた・沼垂の変遷をたどる

■小唄勝太郎や沼垂花街をしのぶ

江戸時代の沼垂町は新発田藩に属し、新潟町とは異なる歴史を歩んできました。明治以降も、二つの地域は港町の賑わいや花街の華やかさを競ってきました。沼垂花街を代表するのが、料亭「鶴善」や、その養女で「紅白歌合戦」でも活躍した小唄勝太郎でしょう。

■信越本線廃線と旧沼垂駅

新潟の鉄道史は、直江津と結ぶ北越鉄道(現・信越本線)の終着駅としてまず沼垂駅ができ、その後、いまの弁天公園のあたりに新潟駅ができました。沼垂駅は北越製紙や日本石油製油所などの貨物駅として活発な荷動きがありましたが、製油所の廃止とともに2010年にその歴史を閉じました。きょうは廃線も歩きます。

■発酵の町と沼垂テラス

沼垂を流れていた栗の木川沿いには昔、数多くの味噌蔵や酒蔵があり、栗の木川から続く寺町堀あたりは朝市で賑わっていました。その賑わいが、いま復活しつつあります。今代司酒造、峰村醸造、沼垂ビールなどが発酵のまちを受け継ぎ、大佐渡たむらなどの沼垂テラスが多くの人々を引き付けています。

■栗の木川と山の下閘門(こうもん)

かつて信濃川は氾濫を繰り返し、支流の栗の木川にも逆流してきました。そのため新たな掘割としてつくったのが新栗の木川です。船を通すための水位調整を行う山の下閘門を信越本線廃線跡からも見ることができます。栗の木川は役割を終えて埋め立てられました。栗の木バイパス脇にその変遷の「段差」を訪ねます。

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